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ゲゲゲの鬼太郎とラバウル小唄

わたし、歴史好きなんです。


①さらば ラバウルよ また來るまでは しばし 別れの 涙がにじむ
 恋し、懷し あの島 見れば 椰子の 葉かげに 十字星


② 船は 出てゆく 港の沖へ いとし あの娘の 打ちふるハンカチ
  声をしのんで こころで泣いて 両手 合わせて ありがとう



こどものとき、母から良く聞いていたんです。



太平洋戦争のときのことを、この歌と一緒に・・


今から、60年以上前のことですから、このブログを読んでくださる方は知らない方が多いと思います。

中国大陸で戦っていた、戦争の最前線が思わしくなくなって北方に後退せざるをえなくなったようです。

大本営と言われた日本政府の戦争を指揮していた偉い方々が考えた末、北方の軍隊を南の島々に移動させたんです。



なぜかと言うと、南の島々には石油や食料が、まだ、たくさんあってアメリカと戦う上で有利だと判断したようなのです。

むかし、満州と言われていたところにいた、日本の兵隊さんたちは列車に乗せら、あの広い中国大陸を南に向かい船に乗せられて南の島々に運ばれて行ったようです。


その中に、「ゲゲゲの鬼太郎」の作家さんの水木しげるさんもいたようです。


そこは、むかし「ラバウル」と呼ばれていました。

パプアニューギニア領ニューブリテン島のガゼル半島東側、 良港シンプソン湾を臨む都市でした。



これをみた連合軍(アメリカなど)は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領しませんでした。

ただ、包囲するにとどめたので、終戦時まで日本軍が保持していることが出来たようです。



水木しげるさんは、てっきり九州など国内の南の連隊への配属だと思っていたようです。

しかし、南方のラバウル行きが決定し他ことを知った楽天家の水木さんも青ざめたそうです。

水木さんをパラオ基地からラバウルまで輸送したのは、 日露戦争で活躍した老朽船の信濃丸だったといわれています。

 

ニューブリテン島での戦争体験がその後の水木しげるの作品に影響を与えました。

装備も作戦も優れた連合軍の前に、所属する臨時歩兵第二二九連隊支隊長の成瀬懿民少佐は玉砕の命令を出しました。

水木しげるが所属していた第二中隊長の児玉清三中尉の機転でゲリラ戦に転じたのです。

そのおかげで生命を拾うことになりました。


その後、水木しげるはマラリアを発症しました。

療養中に敵機の爆撃を受けて左腕に重傷を負い、軍医によって麻酔のない状態で左腕切断手術をしました。

水木しげるは、傷病兵部隊におくられたことによって、島の住民との交流がはじまりました。

住民はとても親切で、終戦後には現地除隊して永住することを帰国直前に考えたこともあったほどでした。

そのうちに、マラリアも負傷も快復して終戦を迎えたのです。



水木は駆逐艦雪風で日本本土へ復員した。

片腕を失ったことに対して水木しげるは

「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきました。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」

と語っています。



「左腕を失ったことを悲しいと思ったことはありますか」

という問いにたいしては

「思ったことはない。命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある」

と答えています。



「ゲゲゲの鬼太郎」の生まれた背景には、このような人生があったのです。
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